2018年04月03日

うな丼の話からエスカレーターに!何で何で


うな丼の話からエスカレーターに!何で何で!


うな丼は、丼の歴史の中では最も古いと言わ
れています。

文化年間(1804〜1818年)に堺町(現在の
東京・人形町)の大久保今助が考案したと
書かれている書物もあれば、堺町の隣町の
裏長屋でうな丼が売られていたとの記述も
あるんです!でもどちらも江戸なんです。

普通に考えると・・・

肝心の東京では、多分その流れを汲んで、今
のようなうな丼のスタイル、「飯の上に鰻を
載せるカタチ」になったと思うんですが・・・

IMG_5607桜の自由が丘008.JPG

でも、でも・・・なんです!うな丼の初期は、
焼いた鰻が冷めぬよう、飯と飯の間に鰻を
挟む!というスタイルが一般的だったよう
なんです!

意外でした。

ご飯の上に大きな鰻を乗せて、ご飯はタレを
楽しむ・・・鰻の間からタレが効いたご飯を
ほじくり出せばすむのにね!



このままではなんと、関西に軍配が挙がって
しまうではないですか・・・江戸っ子じゅん
ちゃん困ったぞ・・・

関西好きっ!というじゅんぞうくんでも、
浅草育ちなんで、穏やかではないです。

でも、そのスタイルってある意味、いいです
よね!ほじくり出すと鰻がたくさん出てきて
楽しめるわけなんですから。



江戸の鰻は、蒸して柔らかく仕上げるため、
身が崩れやすい・・・

そこで、江戸では、だんだんと飯の上に鰻を
のせる!ようになったんです。

だが、関西人からすると、「関東人は見栄っ
ぱりだから、でっかい鰻を上に置いて、見せ
びらかしているだけなんだ〜!!」と・・・



本当のうな丼の由来・・・??

江戸時代に毎日鰻のかば焼きとご飯を注文し
て食べていたウナ吉、でなかった前述の
大久保今助が、「別々に出てきて冷めてしま
って困ったな?」ということで、料理屋に
特別に頼んで作ってもらったのが始まり!

ということで、一件落着!パチパチパチ!!



まあ、諸説ありというのは・・・主張の時代
に反します!各自が選んでみるんですよ!

ぴっピッ!学びの心がない!といわれそう!



まあ、関東、関西で違う点は、駆けあがり、
駆け降りエレベータの左右みたいですから!

まあ、いいじゃないですか〜両者とも美味し
く頂けるのだから・・・

きのうの朝、ほとんどの人が右側を駆け上が
る、というある乗り換え駅で・・・右側を
ふさいでいたおやじがいたんです。



非難ごうごうで何人かが注意しましたが、
本人、決まりでは駆けあがってはいけないん
だ・・・と言い張っています!!

その駅、3年か4年前に、エスカレーターが
駆けあがる重さに耐えきれず、後ずさりして
けが人が出てニュースになったんです・・・

みんな大分迷惑していましたが、NHKでも
確か、それは間違い!正しくは、止まって乗
るもの・・・と広めていたようです!



複雑な朝でした。メーカーの意見かもしれな
いが、同じ金額で、3倍の人が乗ってもびく
ともしないエスカレーターを作れば解決する
のにね・・・

と思ってしまったところで・・・

はい!じゅんちゃん、うな丼から脱線して、
エスカレーターのハナシになってのに、全く
気がづいてない!!



昭和のじゅんちゃんが平成ことばで言うと・・

「じゅんちゃん、KY!」

こりゃまた、失礼いたしました・・・!!!



ひつまぶしで・・・。じゃなかった・・・
暇つぶしで書きました。



今日のフォト

    自由が丘の桜シリーズ 8

最終回です!もう青々とした葉になってます!

自由が丘の桜・・・もうこりごりと言わない
でくださいね!鬼が大笑いしてしまうかも
しれませんが、来年の桜もまたよろしくね!






























posted by ジュンゾワット at 23:45| Comment(0) | 文化 習慣 伝統 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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